個性は共感を生むけど離れていく人も多い ー希望をつなぎ、その先をもっと進むには?

個性は共感を生むけど離れていく人も多い ー希望をつなぎ、その先をもっと進むには?

そんなつもりは無かったのに・・・
そんな意味で言ったんじゃないんだけど・・・

思えばわたしは、昔から周囲の誤解を生む言葉を発する人間だった。
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昔々(20年くらい前)の写真

 

「言葉が直球過ぎる」とか、「刺激が強いワードを選び過ぎる」とか。
これが意外と、当人にとっては大したことで。日本社会の中では、言葉選びを上手にした人のほうが得をするのは確か。つまり実際の社会では、自分の思いは遠回しに緩やかなワードを使ったほうが、スムーズなコミュニケーションが取れるもの

え?それってつまり、どういう意味ですか?やったほうがいいってこと?
えっと、わたしが悪いっていうことで良いんですけど。それでその仕事って誰がやるんでしょうか?

こんな言葉を、仕事場で普通にしていた20代。そもそも今もそんなに変わって無いかもしれないな。

そういう性質は、たぶん生まれ持ったものなのだろうけど、それが自分を追い込みアトピー(皮膚疾患)になるんだと思う。ストレスフルな思考という意味で。
わたしの場合、アラフォーになり40歳が目の前に近づいたこの歳になっても、そういった自分の言葉使いで墓穴を掘ることも多いわけで。
もっというと、この歳まで言葉使いが選べないというのは、よっぽど学習しない人間か?それともよっぽどの頑固者か?そのどちらかなのだろう。

あえて言葉選びをせず、思いついたままの自分の言葉で話してみる

こっちが今の現実。これは親しい(と思っている)人にするように心がけている。自分の心の中の奥底に、とても硬い自分を支える土台があり、頑固一徹にその土台を崩さない。そんな部分がわたしにはある。自分にとってその頑固さは普通のことだけれど、多くの日本人にとっては違うんだろう。

【自分を支えるガンコ親父のような土台】

それって必要なんですか?
なんで傷ついてるのに、傷ついてないみたいに話すんですか?
その友達って、本当にあなたのことを考えてると思います?

わたしは、お客さんにも平気でそういう言葉を投げかけることがある。なんなら、初対面でもそんな風に話すことがある。
それは、わたしの生き方を支える本質、ガンコ親父のような心の中の土台は、硬くて自分自身でもこわせないカチカチの地盤があるからだ。

わたしの心の底の、硬い硬いカチカチの地盤は「人は成長し、必ず誰かの役にたつ」という希望だ。
その希望を自分の心でつなぐためには、言葉選びがマズイとわかっていても、あえてその人の本質に近づこうとする。

つまり、生ぬるい耳障りのいい言葉を投げかけるだけでは、目の前の人の本質は見えてこないので、あえて相手のバリアを叩き割るような投げかけをすることがあるんだ

アトピーとか皮膚疾患というのは、思考が影響することが多い。
目の前の人(お客さん)が皮膚トラブルで悩んでいるときには、その人の本当の部分(本質)を探検してみないと!そうしないと、わたしが目の前の人に出会った意味がなくなってしまう。

さすがに、わたしも接客業でクレームを出してはマズイし、日本社会の流儀を少し見習うことだってある。だから、誰にでもというよりは、自分が目の前の人と心の疎通ができるかどうか?といういわゆる、お客さんと相思相愛になれるかどうか?の部分は心得ないとできないワザでもある。

だからその日本社会の流儀(言いたいことを遠回しにして、自分と合う人かどうかを見極める接客)を、ワザとして身につけて、ようやっとできるようになったんだけど(笑)

【個性は共感を生み、目の前の人の人生を変えるかもしれない】

そうやって、目の前の人の本質に近づくことができたら、ガンガンその本質を叩いてしまうことになる。
これは、実際にはとてもマズいことかもしれない。

藍さんと出会って人生が変わった
藍さんをみて、考え方に希望が持てた
藍さんのように、自分も人の役に立てるかもしれない

そんな風に感じて笑顔で生き生きした表情に変わり、美しくなっていく女性たち。
そんなときは、「わたしでも人の役に立てたかな?」と思う幸せのときだ。

ただ、希望を持ち生き生きした明るい表情になる前は、いっときひどく落ち込んだり、悲しくて涙を流す人もいる。
その人は、自分が持っているやりたいことや、漠然と感じている不安を吐き出す という現象があるのかもしれないな。

わたしの持つガンコで石頭な本質は、このときに発揮されるのだと実感。
ガンコさは個性に変わり、周りの人への共感を生むのだと

人の本質に近づく、というのはわたしの天性の持ち物なのかも知れない。
意識してやっているわけではなく、自分の中の本質がそれをさせているという感じで、感覚的に自分に与えられたものなのかも知れないと、今は認識するようになった。ようやっと自分のことに気がついてきたってわけかなあ。。

【心のデトックスの先にあるもの。それは別れや辛さであることも】

宮下藍にはデトックス効果がある

と親しい友人に指摘を受け、きっとこれが間違いなくわたし自身の個性なのだと。
デトックス中で涙を流し、涙で毒を押し流してしまうんだとか・・なるほどね。。

IMG_0446わたしの結婚パーティーでスピーチしてくれた友人の美鈴さん
(お客さんでもある)

 

確かに、悲しい事実や見たくなかった自分、傷ついたことを、一度、全部吐き出してみると意外と次のステップに進めたりすることがある。
30歳も40歳も超えた女性たちが、見たくない自分を吐き出すことは、並大抵のことではないんじゃない?
プライドも見栄も、全部どこかに置いてこないとできないのがデトックス

だとしたら、わたしができることってそんなにない。
その人自身の毒を流す(デトックス)きっかけが、わたしだったとしても。デトックスするかどうかは本人が決めて、本人が自分の意思でするもの。だからわたしがすごいワケでもなく、誰かよりも偉いワケでもない。

ただ、引っかかることもある。それは・・・

わたしは、デトックスの先にあるものを見たいんだ

デトックスの先にあるもの。実は、わたしとの別れであることが、残念ながら多いのが現実だ。
わたしはここで悩み、必死に自分から人が離れていく辛さを受け入れなければならない。

【大人になっても無視されることがキツい理由】

藍さんと出会って人生が変わった
藍さんをみて、考え方に希望が持てた
藍さんのように、自分も人の役に立てるかもしれない
と言ってくれていた人たちが、なぜわたしから離れていくのだろうか?

わたしは、デトックスした先の彼女たちのストーリーが知りたいのに。
彼女たちの人生のその希望を実行する前に、彼女たちは、わたしから離れていってしまう(こともある)。

そういう現実と向き合い、疑問は疑問のまま受け入れ、続けていくのがわたしが選んだ道のりなのかも知れない。「出会えてよかった」と、一度は涙を流し自分の心の内側を話してくれた人、お互いに相手を思い合える関係になれたと思っても。
結果的に、何かをきっかけに「友だち」ではなくなっていくんだ

藍ちゃんみたいに私はなれないから
藍みたいに、みんなが考えられるわけじゃないんだから
藍さんは自分が全部正しいと思ってる

そんな風に言う人もいる。まあ、直接言ってくれるのであれば「仕方ないな」とわたし的にも何とか自分に押しとどめられる。
たとえ、ここで「そういう意味じゃなかったんだけど」といくらわたしが思ったとしても、相手が感じたことを否定することはできないしね。。

しかし、わたしが一番きついのは、何も言わず一方的にコミュニケーションを絶たれることだ。
子どもが一番傷つくのは、親に無視されること(無関心なこと)だというけれど、大人になった今でも、相変わらずわたしは無視されることがキツいのだ。

理由がわからず、というよりコミュニケーションが取れないことによる別れというのは、非常にキツいものなんだ。

【世間一般の「正解」は自分の「正解」ではない】

(傷つくくらい)だったら最初から、人にそこまで踏み込まなきゃいいんじゃない?

そういう意見も多い。結局、自分がキツくなるのであれば、ほどほどの付き合い方をして、あまり相手に踏み込まない付き合い方をすればいい。
そう、それが正解だと思う

それが正解

それが正解?

本当に正解???

まあね。。ごめんなさい。
世間一般で良しとされる正解を、すんなり受け入れられるわたしだったら、今の自分はないのかも。
自分を支えるガンコ親父のような土台。硬くて自分自身でもこわせないカチカチの地盤があるからだ。

わたしの心の底の「人は成長し、必ず誰かの役にたつ」という希望は、この先ずっと持ち続けるんだと思う。どんなに凹んでも、意味がわからない切ない別れも。結局わからないことも多いんですけど。
唯一、今自分がやっていることを否定しないためにはどうしたらいいんだろう?
まずは希望を自分の心でつなぐため、そばにいてくれる友人や家族を大事にすることのほうが大事なはず。

そばにいて、言い難いことも言ってくれる。
自分の気持ちをお互いに話してみる

その努力できる関係があるからこその、人の生き方・人生なのだと。。

まあ、そう簡単に思えていたら、こんなに悩み・辛くならないはずなので、まだきっと離れていく人への執着する気持ちが残っているんだろうな。。