38歳は複雑で厄介。だからこそ「楽しく笑顔でいる」ことしか要らない ー38歳の肌事情

38歳は複雑で厄介。だからこそ「楽しく笑顔でいる」ことしか要らない ー38歳の肌事情

いっぱい良い所があるのに、その自分を受け入れられないのはなぜ?

数ヶ月前(2017年7月)、わたしは彼にこう言いました。私たちは今年38歳になった。

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実家の池にオタマジャクシを飼いカエルにする。
そのために周りの環境(庭)を手入れしている

【良い所を自分で受け入れることができる人間が、この世の中にどれだけいるのだろう?】

わたしはアトピー性皮膚炎のため、人生の3分の1を肌荒れに悩んで過ごしてきた。

特に32−36歳までの4年間は、ドロドロ・ジュクジュクの状態を繰り返しながら実家で生活する状態で、とてもじゃないけどこれから結婚や子育てができるとは思えなかった。

 

今は改善したものの、当時はまあ、そんな感じで過ごしていた。
さすがにその当時は、仕事もまともにできず「自分はこの世に生きている意味があるんだろうか?何の役にも立たないんじゃないか?」そんな風に考えていたりしました。

とにかく、毎日が辛くて仕方ない、何も考えたくない。

 

考えてみると、
自分の良い所を自分で受け入れることができる人間が、この世の中にどれだけいるのだろう?

わたしはそんな肌の状態が4年間続いたときも「人の役に立ち、社会の役に立ちたい」という気持ちはずっと持ち続けていたし、自分にとって得意なことや好きな人とそういう生き方をしたい。という強い思いだけは心の中に無くなることはなかった。

つまり最終的に「豊かに生きる」という根本的な生きる知恵のような部分を持ち続け、ほんの少しの望みも捨てなかったのだと思う。

【私たち38歳前後の世代が持つ『シビア』な見方とは】

わたしの同世代は、超就職氷河期を経験していることもあり、社会や個人に向けた見方がシビアなところがある。
シビアというのは、

表面的な言葉で周りと協調したらいいのか?
それとも、自分の素直な気持ちを出せる部分で共感したいのか?

そういうことを瞬時に察知しようという感覚を働かせやすいのだと感じる。
結果、自分の良い所を受け入れるよりも先に、周りの人や社会と自分の違いを察知して「好きか?嫌いか?」を判断している部分が大きいんじゃないか?

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最近は心で思っていることを落書きで表現するようになった

【人の笑顔がみたいのなら、自分が毎日幸せになれる方法を模索していいはず】

大事なのは自分の心と向き合うこと

人に優しくしたい、人の笑顔がみたいのなら、自分が毎日幸せになれる方法を模索していいはずなのに。
そういう訓練も十分にできないまま、余裕のない社会の中でなんとか、その波に溺れそうになりながら現時点(38歳)を迎えているような気がする。

わたしは思う。

まずは自分の良いところを見つけて、それを自分で受け入れる。
自分の好きなことや、ずっと続けられることを発見してそれを生かそうと考えてみる。

そうやって心で思うことは、誰にも迷惑かけないし、毎日続けていれば、半年後には自分が一番大切にしたい人に、心から相手のことを思ってやさしくなれるのだと。

いくら他人に「あなたはここが良いところだよ」と言われたところで、自分がその良いところを受け入れていなければ何にもならないから。
逆に、いくら自分が良いところを持っていると思い込んでいても、それを周囲の人に「これだよね?わたしってこれがすごいよね?」って周りの共感を得ようとアクセクしていたら、ただ単に押し付けているだけで、こっちも意味がない。

 

【結局は複雑で厄介 それがわたし達】

複雑で厄介
これがわたし達なんだ。

そして、わたしは楽しく笑顔で仕事をして、自分の良いところを発見する時間を毎日、浮き沈みしながら続けてきたからこそ今がある。

これはあくまでもわたしの自分勝手な意見だけれど。
今こうなってしまった以上、自分の良いところを受け入れられない人と、将来を通して、本質的に共感しあうことができるのか?ということを考えてしまう厄介な中年になったんだ。

いくら「もういい歳なんだから」と世間が言っても、そこは頑固な自分。

さて、今後はどうしようか?

そんなことを考えていた矢先、彼からこんな言葉が出てきた
「これから、自分がやりたいと思っていたことをやってみようと思う」

そんな部分に期待しともに成長していく道を、わたしは選べるかも知れないと最近、思うようになった。

大半の人は一生、自分の心と向き合うことができないとしても、そこはその人の人生の話。
複雑で厄介 だからこそ「楽しく笑顔でいる」ことしか要らない

こうやって生きるための努力なら、いくらでもできる。
そのために目の前の人と共に進んでいくんだ